2010年1月18日月曜日

1月15日の小沢一郎民主党幹事長の元私設秘書で衆院議員、石川知裕容疑者(36)と、元私設秘書、池田光智容疑者(32)の逮捕から垣間見えること

1月15日(金)、夜8時半くらいのこと。
ちょうど警察担当のクラブ記者と食事中に彼のもとに一本の電話が入った。「今夜、検察が動く。石川議員の張り込みが足りないのですぐ来てくれ。」とのことだった。
彼曰く、「実は、この件、ウチは情報が取れてない。急いで行かないと。」

テーブルに並んでた食事を駆け込みながら、「ところで、実際何がどう悪いのか?」という問いかけに「正直何が、ということじゃないんだけど、クラブではすでに(小沢=悪という)枠にはめてしまってる傾向がある。」と。
「それ、おかしいね。」
「ええ。。」

それから彼は席を立ち、現場に向かった。
約1時間半くらいたって電話があった。
「石川(議員)が逮捕された。」と。1月15日午後10時。

その後発表された小沢一郎民主党幹事長の元私設秘書で衆院議員、石川知裕容疑者(36)と、元私設秘書、池田光智容疑者(32)の逮捕容疑の要旨は次の通り。

石川容疑者は小沢氏の資金管理団体「陸山会」の会計責任者だった公設第1秘書、大久保隆規容疑者(41)と共謀し、収入総額を4億円、支出総額を約3億5200万円、それぞれ少なく虚偽記入した平成16年分の政治資金収支報告書を17年3月に総務相に提出した疑い。
池田容疑者は同様に大久保容疑者と共謀し、支出総額を約3億5200万円多く虚偽記入した17年分の収支報告書を18年3月に、支出総額を4億円過少に虚偽記入した19年分の収支報告書を20年3月に、それぞれ総務相に提出した疑い。


memoφ.....

-政治資金規正法・罰則-

(1)罰則
 政治資金規正法における収支報告や寄附制限等の履行を担保するための主な罰則は次のとおりです。

・無届団体の寄附の受領、支出の禁止違反
 5年以下の禁錮、100万円以下の罰金(法第23条)

・収支報告書の不記載、虚偽記載
 5年以下の禁錮、100万円以下の罰金(法第25条)

・寄附の量的制限違反
 1年以下の禁錮、50万円以下の罰金(法第26条)

・寄附の質的制限違反
 3年以下の禁錮、50万円以下の罰金(法第26条の2)


(注)寄附の量的・質的制限等違反による寄附にかかる財産上の利益については、没収または追徴する。(法第28条の2)

(2)公民権の停止
 政治資金規正法に定める罪を犯した者は、選挙犯罪を犯した者と同様、次の期間、公民権(公職選挙法に規定する選挙権およ び被選挙権)を有しないこととされています。(法第28条)

・禁錮刑に処せられた者
 裁判が確定した日から刑の執行を終わるまでの間とその後の5年間

・罰金刑に処せられた者
 裁判が確定した日から5年間

・これらの刑の執行猶予の言い渡しを受けた者
 裁判が確定した日から刑の執行を受けることがなくなるまでの間

(注)政治資金規正法違反によりその公民権を停止された者、併せて選挙運動も禁止されます。(公職選挙法第137条の3)

逮捕は決してそれをもって有罪確定ではない。が、メディアの論調はすでに民主党幹事長・小沢一郎氏もすでに容疑者として扱いはじめた。容疑といっても、何の容疑なのか明確にはなっていないが。この案件、そもそも2009年5月から開始された政治資金の寄付者側の西松建設・國澤幹雄元社長らの公判の経過と、判決の内容から端を発している。

ちょうどこの公判は、株主総会前で、早期の裁判終結を望んだ西松建設側は、公訴事実をすべて認め、検察側の証拠請求にすべて同意、結果として執行猶予付きの有罪判決が言い渡された。
西松建設のダミー政治団体「新政治問題研究会」から献金を行った。受け取った大久保氏が、仮にその団体が西松建設のダミー団体だと認識していたとしても、寄付者名に「新政治問題研究会」と書くべきだったのか、それとも企業献金が認められている政党支部宛として「西松建設」と書くべきだったのか、虚偽記載とはいえ、総務省はどちらが合法か、判断できないということだったが、この見解が検察とは異なっていた。寄付者名の記載方法については会計責任者の判断に委ねられていたという過去の経緯の中で、会計担当者が即逮捕されて罰則が適用されるというのはまさにそのことを意味している。

そもそも政治資金規正法が議員立法であるため、担当官庁が罰則の適用について判断することは政治活動の自由を奪うことにつながりかねないという事情があった。民主党は政治資金規正法に関する公開ヒアリングを行ったのだが、その際、委員会は「これでは、全国に無数に存在する政治団体、政党、政党支部の会計担当は、寄附者について収支報告書にどう記載したら良いのかまったくわからない」とコメント、政治資金規正法の解釈・運用に関して根本的な問題があるとの認識を示した。この公開ヒアリングでは、法務省に対しても出席を要請したが、公判中の事件であることなどの理由により出席を拒否している。



大雑把ではあるが、今回の小沢氏の元秘書逮捕に結び付く経緯の初期にある検察の中に、ある“意思”らしきものを感じることができると思う。
まずは、西松建設・國澤幹雄元社長らの公判において、会社の経営上の判断として検察側の公訴事実をすべて認め、検察側の証拠請求にすべて同意、そこで作られた供述書に検察に言われたまま無条件・署名をしていると考えられる。
第二に、法律の所管省庁である総務省が見解を明確にできていないにもかかわらず、検察は独自の判断で解釈を加え、いわば政治資金規正法違反は形式犯ではなく、かなり悪質な犯罪であるとし、適用の厳罰化に踏み切った。

そこで考えられる事は、西松建設・國澤幹雄元社長らの供述調書は真実なのかどうか?國澤幹雄元社長らは、いわば検察の言いなりだった。供述調書の真偽すら怪しい。あるいは、その後の検察の解釈、捜査の方向性を担保するために利用されているという可能性。
そして、先もふれたが、議員立法であり、議員の自由な政治活動を奪う解釈を検察自身が加えることは、いわば検察の暴走と言えなくもないか。そして、その担保が、検察の言いなりで作り上げられた國澤幹雄元社長らの調書だとしたら、もはやこの暴挙は、検察が捜査機関として地に堕ちた組織であることを証明している。


小沢金脈の構図は、近代日本史における自民党の金脈構造そのもの、田中角栄-金丸信、そして小沢一郎、おそらくそう引き継がれてきたものであろう。蓄財の一部は、いつか語られた"刻印のない金塊"かもしれない。これらを明らかにすることは、一方で未来の日本を創ろうという今だからこそ意味があるとも言える。だが、一方で、今の自民党も民主党も政治主導を掲げながら、実はまだまだこの国は官僚主導であるという実態に気づかされる。

民主主義国家と思わされているこの国の実態が垣間見えている。実は検察国家であり、警察国家なのである。
2010年4月、小沢氏の容疑案件は時効を迎える、というだけではない。検察、警察も人事が動く。たとえば警察、後藤田氏から自民党色の強い人事が継続されてきた。国会で国策捜査であるかのような発言をし批判を受けた麻生内閣の元副官房長官の漆間巌氏は警察庁長官だった。その時の警察庁官房長が安藤隆春氏、現警察庁長官。安藤氏も自民党とのパイプが極めて強い。そして安藤氏の任期は今年の4月までである。

民主党の敵は、いわば自民党、官僚組織だけではない、小沢幹事長は記者クラブという既得メディアにとっての利権構造をも壊そうとしてきた。バックは読売グループの渡辺恒夫氏だ。敵の敵は仲間、じゃないが、記者クラブと官僚組織、そして自民党は打倒小沢氏でベクトルが一致している。したがって、クラブ記者はすでに枠をはめた報道に終始しているわけだ。検察vs民主党、その構図は表、実態はもっと大きなバトルがここにある。そして、人事で大きく動く4月を前にその戦いは加速されていく。

民主主義がこの国に良いかどうかはともかく、小沢氏が目指す"民主主義を根付かせる"という志の本当の戦いはいよいよ正念場を迎えた。4月までにどう決着をつけるのか。
小沢一郎という政治家がどうであれ、今、この時点で国民の、いわば反官僚機構、反マスゴミの代表であることは明確で、彼の"罪"は民主党が政権を奪取するために必要だった経費、いわば過去のつけ。
日本国民よ、マスコミに惑わされることなかれ。
そして国民から主権を奪おうという検察の暴挙に怒れ!

2010年1月13日水曜日

人間の雄が消滅する日-y染色体の劣化

性染色体にはx染色体とy染色体が存在するわけだが、父親が持つx-y、母親が持つx-x、これが作用して子供ができる。実際のところx-xとx-yの中から優勢なものを選んで子の遺伝子が決定されるというほど単純ではないにしても、基本的にこの遺伝子は親の持っている遺伝子をベースに修復が加えられてできあがっている。

さて、子が女子の場合は親の三種類のxから優勢なxによってx-xとして女子が生まれる。しかもxは代替可能で、対の一方の遺伝子が機能不全だったとしてももう一方が機能する。しかし、子が男子となった場合は、x-yのy染色体はそもそも父親のそれをコピーしたもの、ということになる。コピーは台を経て打撃を受けたりコピーミスをおかす。したがってy染色体は結果としてどんどん短く粗悪なものになっていくのは避けられない。事実、x染色体は約1,000以上の遺伝子を持つのに対しy染色体は78しかない。つまり、いずれ人間の性染色体からy染色体は消滅する運命にあるのは間違いない。

人間を含む哺乳動物は子供を胎盤で育てる。実はy染色体は、母がその胎盤をつくる際に重要な役割を担っており、つまりy染色体の劣化はやがて胎盤の劣化、あるいは胎盤を作れない、結果人類は存続できなくなるというプロセスを想像させる。

もはや“男”には頼ってられない、“女”は自らの遺伝子に革命を起こし、“男”を必要としない新しい人類に進化しようとしている-

そんなことを感じたことはないだろうか?

一部の爬虫類は魚類の中に、雄がいなくなると雌が雄化して子孫を残せるように"性転換"をしてしまうものがいる。y染色体が消滅すれば、今のままでは人類は絶滅する。しかし、そうはさせじと、女は自らの遺伝子情報の分析を無意識のうちに行い、y染色体は経年劣化が激しく使い物にならないからそろそろ新しい性染色体、たとえばz染色体のようなものを作ろうとしている、のかもしれない。

z染色体はいわば進化の過程にあり、性染色体として確立されたものではないから、医学の進歩した現代においては、あるいは“病気”“障害”と捉えられている可能性はある。そう、性同一性障害。といってもこれは女の場合に限る。
y染色体はそもそも劣化している。したがって、男そのものの劣化の表れも性同一性障害という形で表れることも考えられる。女性的な外見、肉体的にも弱く、実に劣化的。一方で、女子の性同一性障害、思うに多くの彼らは運動能力に優れ、頭脳明晰、全部がというわけではないが傾向としてむしろ障害というよりは進化の過程にあるのではと思う場面が多い。
彼らは肉体的性と精神的性という社会の一般常識の中で苦悩し、選択をする。どの性で生きていくのかを。結果として、乳房を、または子宮をとり、性転換手術を行うことで、現実社会の中で存続しうる性の枠組みの中に納まろうとする。すなわち、ここで、常識的枠組みの中の“障害”という分別によって、人間のひょっとしたら進化の種かもしれないものを奪っているかもしれないのだ。
性同一性障害のコらとの面識も多く、彼らの中で「そのままコを生んで進化を示してみようよ!」なんて言ったりすることはあるが、実際のところそう単純ではない問題と環境の中で、そういう決断は簡単ではないだろう。だが、釈然としない。ひょっとしてだが、本当に進化の兆しだったらと。

話は戻るが、そう、つまり男は劣化している。たとえば現代人の精子は減っているという研究結果が世界中で報告されている。成人男性の精子数はおよそ50年前とくらべて半減しているといわれており、WHO(世界保健機関)の発表では、精子の運動率も20年前とくらべて80%から50%にまで落ちたという報告がありる。
y染色体の劣化どころか、そもそも男性の精子が無くなっちゃいそうな勢い。20年前のデータで通常1mlあたりの精子の数は7,000万~1億コ、それが今やWHOが定める正常下限は約4000万/ml、だがこれが約2,000万コ/mlから1,300万コ/mlあたりで、いわゆる男性不妊の領域に入ることになる。

精子は薄くなる、動きも鈍い、あげくy染色体は劣化。男がこんなじゃ、女もそろそろ男に見切りをつけて自ら新たな性を作りだしたくもなるのも、わからないでもない。こんな男どもに任せてたら、それこそ人類は滅亡と。

こういった側面からみても、人の草食化傾向の一端が見て取れる、という話でした。
牡蠣を食べようとか、にんにくをとか、まぁそれはともかく、でも実際のところSEXでもなんでも射精してないと前立腺も劣化するわけで、要するに生物学的にも人間の草食化にいいことはない。ならば、人類滅亡を避ける意味でも肉食化しましょう、という話でした。

2010年1月12日火曜日

「未完」

知識
価値観
思想

どれも生まれた時には何もなかった

生きていく中で
僕らは
擦り込まれ
あるいは自分自身でたたき込み
そうして変わり続け
今にたどり着いた

僕らは時折
擦り込まれた慣行に思慮を欠き
思わぬ結果に
傷つき
あるいは傷つけ
悩み、挫折をする

頭を抱え
考え
学び
やっとの思いでたどり着いた今は
思い描いた理想とは程遠い

生まれた時にあった
完全なる自由
定義することすらその自由を奪うほどの自由
その自由を削り取る

削り続けて生きる

削り取る刃は





削り取る力は

想像力


人は
限られた時の間に生き
人は
愛するものの前では
奴隷に等しい

時は経験と思慮を与え
愛したことは骨身にしみ込む

知識
価値観
思想

生きてきた中で
擦り込まれ
あるいは自分自身でたたき込み
湧き出す想像力で
さらに深く深く削り取る

やがて擦り込まれたものをも追い出し
借り物ではない
唯一の自分自身に
どこまで近付けるか

生きるとは
多分そういう事で

だから

もしその形が完成したと思えたら

例え時を余していたとしても

僕は自ら

死のうと思う

そうあれたら
いいと思う

その為に生きたいと思う

「涙を流すとき」

時代に囚われ
軽薄な善悪に縛られ
今涙を流すとき
7年前のあの火事のことを話すと
大人たちはいやな顔をする
ヤツは逃げて今ものうのうと生きてる
それを知ってるあいつらに突っ込んでやったさ
黙って何も言えやしない
じっと眼を見つめてやるんだ
だけどそんなこと やつらにはどうでもよかった
政治とワイドショーは
この街の虚像に踊りつづけてる
だからこんなになっちまった

眠らないこの街が
眠りにつくころ
僕たちは独りになって
忘れてたことを
思い出す
夢が消えかけてる
だったら夢を作り出せばいいと
やがて時が来て
風は変わる
今吹いてる風は
向かい風
へたすれば堕ちて朽ちて果てるかも
だけど強ければ強いほど
つかめば高く飛べるはず
高く高く
それでも追い風がないと前には進めない
僕たちは今
そこに向かっている

少数派の多数が権力を振りかざし
マスコミの薄っぺらな正義に支配されて
なにも出来ないと信じている愚かな民たち
あいつらは高い酒を呑んでは酔っ払い
わかったように善悪のことをしゃべってる
それがあいつらを守る貧弱な鎧だと気付かずに
それなら自由にセックスしてる
こいつらのがよっぽど信用できる

眠らないこの街が
眠りにつくころ
僕たちは独りになって
忘れてたことを
思い出す
夢が消えかけてる
だったら夢を作り出せばいいと
やがて時が来て
風は変わる
今吹いてる風は
向かい風
へたすれば堕ちて朽ちて果てるかも
だけど強ければ強いほど
つかめば高く飛べるはず
高く高く
それでも追い風がないと前には進めない
僕たちは今
そこに向かっている

みんな無意味な自分に怒ってる
声にならない声が聞こえる
だから僕は歌う
彼女が言うんだ
あんたは地獄に囚われてると
いやなら仕方がないさ
どのみち僕は救われない
でもそれすら無意味だと思わないかい
心の真実を欺くな
嘘を見抜けば世界は変わる
この街が好きなら
愛の痛みを知ってる証
あいつらのことなどどこ吹く風
なりふり構ってる場合じゃない
昔はそうだったんじゃない?
なにも期待してない
いつか命は朽ち果てても
夢は永遠だから
この街は知っている
生きていくのはつらいことさ
悪役たちのがよっぽど善人だってね

僕は 君を抱きしめたこの腕で
今 世界を抱きしめている
ここではいつも何かが起こってる
愛と哀しみに満ちた
歌舞伎町にようこそ

歌舞伎町の中心から~“日本総肉食化計画”

2010年、てらたにこういちの個人的なテーマは"日本総肉食化計画"。何も肉を食べようって話ではない。この国を包み込むかつての英国病的な空気を打破するには、怒りさえ持たない不感症になったこの国の人たちの心をもう一度目覚めさせる、いわば、日本をなんとかしたいなら、草食化した国民を肉食化する、ちょっとそんなことをテーマにやっていこうかと思ってます。

かつて英国病で不感症になった英国女性を目覚めさせたのはジョニ・ミッチェルの歌"Both Sides Now"(青春の光と影)だったとか。日本の場合、むしろ男のほうが不感症な感がある。草食化したこの国の人たちのどうやって肉食化することができるのか。

“マスをかくならソープへ行け”“売春合法化”(女性の皆さまには失礼しました^^;

それはややジョークにしても、怒りを忘れ、欲を失ったら人は駄目になる。ストレスの強い社会でガス抜きがうまくいかなければどこかで暴発的な事件や事故が起きる、そう思っていた。しかし、どうもそうではないらしい。いつのまにか、この国の人たちはストレスを感じなくなってきてしまっているような気がします。要するにガス抜きしなくても済んでしまう、いわば心が不感症化している。景気や経済の後退が国民の総草食化に繋がったことは言うまでもないが、しかし景気が回復したからといって消費が簡単に伸びるか?といえばそうではない気がする。いわば、草食化した国民を肉食化しなければどうにもならない。このままでは、草食化した日本は、肉食化が進む中国等にいとも簡単に食われてしまうだろう。

そこで、“日本総肉食化”、日本再生のキーワードはこれ!

心が不感症、怒りすら忘れ
草食化した日本人の心を
日本のへそ、"肉食人の聖地・歌舞伎町"の中心から目覚めさせる
2010年、日本総肉食化計画開始!


とかなんとか、いろいろやることがありますが、皆さまにとって、2010年が素晴らしい一年となりますよう。

2010年 元旦

今年もよろしくお願いします。

"日本肉食党・党首" てらたにこういち

歌舞伎町の中心から~日本総肉食化計画