2010年4月23日金曜日

『必要悪』

歌舞伎町のホストクラブ、今では160件を超える。
供給過多と営業時間規制が相まって、客引きが横行、来街者の体感治安は悪化の一途をたどる。

かつて、2000年前後まで、歌舞伎町にはホストクラブと言われる店舗は60件程度だった。
深夜に営業し、仕事を終えた夜の蝶たちが慰安の時を過ごす、いわばそういう場所だった。
2003年あたりから、この夜の業界に変化が起きた。
メディアがホストを華やかに取り上げ、漫画やドラマが光を当てた。

所詮ホストに品などは無い。しかし、その下品さの中にあるギラギラ感が、バブル崩壊以降の窮屈な国民感情に響くものはあったのだろう。
そして、その幻想感が人と金を集めた。

60店舗程しかなかったホストクラブが、一時は250件にも膨れ上がった原因は、いわゆる『外資』があったから。

『外資』とは何か?何も、外国資本という意味ではない。
夜の業界の常識、それはホストクラブはすべてやくざ。
100%、何かしらの形で暴力団と関係があった。
しかし、それだけの世界ではこのバブルは起きない。
ホストバブルが起きたのは、その世界の資本ではない資本、つまりカタギの資本が入りこんできたからである。いわば、これを『外資』という。

ここで何が大きく『秩序』というものが大きく変化する。

100%ヤクザ、あるいはそういった関係の強い世界には、当然のことながら秩序がある。法律ではない。法律を超えた掟が存在し、それが絶対だった。客引きだって好きにはできないし、移転や引き抜きなんて御法度、ホストとはいえ、暴力団と変わらない。親と子、親の言うことは絶対だった。

白いもを黒と言えば黒、そういう世界だった。

それが、『外需』によって一変したのだ。経営者は素人、社長と言っても雇われの頭の弱いホスト、そもそもやんちゃな奴らが集まる夜の世界、秩序をもって仕切れるやつなんか皆無に等しい。

どうなるか、想像に難くない。当然そこは無秩序になった。

時代は暴力団を排除に向かった。暴対法は強化され、組名を名乗るだけでも逮捕される。暴力団員は無力化され、夜の世界の秩序は崩壊に向かった。その秩序を警察が、あるいはカタギが変わって守る、というのであればそうはならなかったかもしれない。
しかし、警察もカタギも所詮素人、そこに営業時間規制が強化されれば、当然、苦し紛れに客引きは横行し、夜の蝶ではなく一般の女性にも向かう。そして体感治安は崩壊した。

これは、一つの例に過ぎない。

暴力団を『必要悪』というわけではないが、社会の自由を守るために適正な秩序をもたらす上でやむを得ず存在するのが『権力』である。そして、その『権力』を担保する、あるいは実行する、そのために掟やルールは存在する。国家であれば、法律がそれにあたる。

人間の自由を求める本質と、それを若干規制することで社会の公正さを保つ、そのための掟やルールが存在するのは、一面的にいえば人類の進化の証であるともいえる。1人の人間の利害より社会の公共の利害は優先されるというのはしょうがない。人間は社会の中で生きているから。

しかし、それは社会を構成する全ての利益を担保するものではない。あくまで、マジョリティ側の利益であって、またマジョリティに権威を委ねる民主主義の構造に正当性が委ねられていなくてはならない。

もし、仮に法律も掟もルールも権力も存在しなくても、社会が上手くまわるのであればそれに越したことは無い。暴力団も、無くて済むならもちろん無い方がいいに決まっている。法を執行する権限を委託されている公務員、警察官も、いなくても社会の自由と構成が保たれるのであれば不要。

そこに答えはある。

権威も権力も、法律も掟も、政治も行政も、モラルも宗教も、もちろんヤクザも警察も、全て同じカテゴリーの中に存在している。要するに『必要悪』。

必要悪は『悪』、故に決して肥大化してはいけない、最小限でなくてはならない。そして、暴走をさせないために監視もしなくてはならない。

仮に、暴走し始めたらどうするか?

その時は、壊すしかない。壊して、創りなおさなくてはならない。その時は、血が流れることもあるかもしれない。誰かが悲しい、不幸を背負うことになるかもしれない。
だが、それを壊すべき時に壊せなかったら、その時は、魂が死ぬことになる。


暴走のシグナルは何か?始まりは何か?
それは『必要悪』が正義を振りかざした時。

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